「厚労省に望むこと_想から離れた行政というものがありえないからでしょう。
必要なら外部の人間と協力するぐらいのことは考えるべきです。
第三にリアリズムです。
現実の人間のいやな部分を正視する必要があります。
人間はコントロールがなければ暴走します。
一定の条件下に置かれると、日本人も大虐殺をしかねない。
何も、厚労省が高い立場から善導せよというのではありません。
国政を三権に分け、互いにチェックさせバランスをとっているのと同様に、個々の人間(患者と医療従事者)に対しても、暴走を制御するには、チェック・アンド・バランスが必要だということです。
さらに、メディアの持っている無責任な甘いコンセプトを捨て去る必要があります。
「安心・安全」などという状態はないのです。
ないものを求めると無理が生じます。
幻想にとらわれてはなりません。
統治に虚構がつき物なのは常識かもしれませんが、虚構であることが非統治者に明らかになった後でも、なおもそれを押し通そうとすれば、統治の正当性が傷つきかねません。
一〇〇パーセントの安全を求めると現場に無茶な責任を負わせることになります。
現場からの信頼をなくすだけでなく、士気を奪います。
現状は、守れない規則だらけです。
法令が実情にあっているか検証すべきです。
状況を正確に把握するためには、数字で表現された現場の実態だけでなく、現場の人間の認識と考え方を、本気で収集する必要があります。
考え方も社会を動かす立派な現実です。
首本の医療費は、世界的にみて低く、ぎりぎりの状態で運営されています。
もし、費用を抑制するとすれば、どのサービスをやめるのか、あるいは、サービスの質をどこで落とすのかがセットで議論されなければならない。
それを国民に納得させることを恐れたり、怠ったりしてはなりません。
最後に、現在の医療危機への対応は、歴史を作る作業に他なりません。
未来の日本人に対しても責任が生じる。
関わる人間には、使命感が求められます。
当然のこととして私は厚労省の職員に使命感を要求します。
高知の春は球音とともにやってくる。
市内にある東部野球場では福岡ダイエーホークスが、春野球場では西武ライオンズが、また県東部の安芸市では阪神タイガースがキャンプを張っている。
タクシーに乗って聞かれる話題は決まってプロ野球のキャンプにかかわることだった。
Hさんの自宅は、高知市内の南西、春野球場からほど近い。
少し南下すると坂本龍馬の像があることで名高い桂浜に突き当たる。
Hさんはこの一年前、市内の中学を卒業し、いま県立高校の通信教育部に通っている。
自宅の応接間で顔を会わせた。
ジーパンにべ九ンユ色のカーディガンを着ていた。
ほっそりとした体躯の、どこかはかなげな感じの少女だった。
持って生まれた雰囲気なのであろうが、病との長いたたかいのなかでつくられたものであるようにも思われた。
問いに返ってくる答えはわずかなものだったが、返事の短いことをわびるかのごとく、口もとにかすかな微笑を浮かべる。
それが可憐に映った。
彼女の歩みについては、保険会社に勤務してきた父のKさん、母のMさん、兄で高校の教員をつとめるSさんより訊き取ったことがほとんどであるが、話の途中、何度か少女の方に視線がいった。
二〇〇〇年二月下旬、早春の淡い陽光が差し込む部屋に、いま彼女が在ることにふと感慨を覚えた。
もし生体肝移植という治療手段がなければ、また、もし困難を極めた移植手術を乗り越えることができなければ、この姿はなかったわけであるから。
一九九八年、中学三年生の夏。
生体肝移植を受けるため、彼女はK大学医学部付属病院中央診療施設棟四階にある手術室に横たわった。
K大医学部と付属病院は市内左京区、大学キャンパスの南のはずれにあって、西は鴨川に接している。
静かな構内であるが、当時、病院の建て替え工事で騒がしかった。
いま完成した外来棟の入口あたりは広として明るく、一見ホテルのロビーのごとくもある。
この当時、K大における生体肝移植は週二例、コンスタントに行なわれるようになっていた。
肝臓移植は難手術であり、生体肝移植はとりわけむずかしいとされるが、練達した移植外科医にとっては日常のルーティンワークといっていい。
ただ、彼らの間で「Hさん」の名前は深く刻まれている。
極めっきの難手術であったからである。
肝臓は体内にある最大の臓器である。
蛋白を合成し、糖分を貯蔵し、胆汁を分泌し、血糖を調節し、有害物を解毒し、血漿蛋白や止血のための凝固因子を産生する……。
この臓器なしに人は一日たりとも生命を維持することができない。
この超精密化学工場の人工物をつくることはちょっと想像を絶する。
そのメカニズムからして完全にわかっているとはいいがたいわけであるから。
要は、心臓はポンプである。
いま人工心臓は、心臓移植を待つ患者のなかで長期待機を強いられる患者に対して、臓器提供者が現われるまでのづなぎ装置”としてすでに日常的に使われている。
人工肝と呼ばれるものも存在はするが、肝臓の働きのごく一部を一時的に代行する補助装置という以上のものではない。
将来、いまより格段に進んだ人工臓器が現われ、臓器移植という治療手段を必要としない時代が到来するのかもしれないが、肝臓移植はもっとも“長寿の治療手段”としてあり続けるだろう。
生体肝移植とは、臓器受容者の病的肝を摘出し、その空洞に、生者のドナーから切り取った肝臓の一部を埋め込む手術である。
肝臓は左葉と右葉に分かれる。
体積比でいえば、左葉がおよそ十分の四、右葉が十分の六。
その分岐点に、肝静脈、肝動脈、門脈、胆管が寄り添って集まっている。
小児への肝移植でいえば、ドナーから摘出されるのは左葉、あるいは左葉の外側区域で、全肝が摘出されたレシピエント側に残る脈管と縫い合わす。
植えられた肝臓は、やがて左葉は左葉のままに、右葉は右葉のままに、ボリュームだけはもとの全肝サイズまで膨れる。
もちろん新たに脈管が生えることはないが、機能ももと通りに回復する。
ドナー側の肝も同様である。
生体肝移植は、脈管が分かれ、かつボリュームがもとに戻るという肝臓のもつ不思議な特質を利用したものともいえる。
心臓にはそういう属性はないから、いうまでもなく、“生体心移植”は存在しない。
生体肝移植の手術は順調にいけば八時間から十時間で済むが、Hさんの場合、三十六時間を要した。
それまでの、またその後を含め、最長時間を記録している。
手術にさいしては、事前に綿密な検査を行なう。
画像診断、超音波診断などを駆使し、病的肝の形態、出入りする脈管の走行状態を掌握する。
最新のコンピューターは立体像まで教えてくれる。
ただし、おなかを開けてみなければわからないこともある。
彼女もそうであったように、かつて胆道再建の既往歴のある患者は、病んだ肝臓が周りの組織と癒着している。
これを剥離する間、出血とのたたかいが続く。
門脈は栄養分を含んだ腸管からの静脈血を集めて肝臓に送り込む血管であるが、彼女の場合、門脈が周りの組織のなかに埋没し、ほとんど形態をとどめていない状態にあった。
しかも化膿していた。
手術前、彼女は感染による高熱を発している。
状態の回復を待って手術に踏み切ったわけであるが、病巣は残っていた。
何度か背中が痛いと訴えていたのだが、その原因もこれによるものだった。

脱毛の実態がよく分かります。脱毛の専門技術を身につけましょう。
脱毛にはとてつもない魅力があります。脱毛は香りがとっても良くて有名です。
脱毛がパワーアップしました!脱毛の安定性は十分です。